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法源

ここでいう法源とは、法として援用できる規範の存在形式のことであり、通常は、裁判官が法として裁判の理由で援用できる法形式のことをいう。法源の中心となるのが法律を中心とした制定法(詳細については「法令」を参照)であることには問題はないが、その他問題となるものに以下のものがある。

慣習法

社会の慣習を基礎として妥当する規範のうち法として確信されるに至ったものをいう。制定法が整備されている国家においては、成文法を補完する位置にあるにすぎない。しかし、制定法の欠けている部分を補充する役割があり、また解釈論として一定の範囲で制定法に優先する効力を認める見解もある。

判例法

判例に法としての効力が認められる場合、判例法と呼ぶことがある。伝統的な理解では、英米法の国では、判例法が法の中心に置かれ判例の先例拘束性が認められる(ただし、判例の変更が認められないわけではない)のに対し、日本を含め大陸法を基調とする国においては、判例に事実上の拘束力があることは肯定しつつも、法源としては認められないと言われている。しかし、いわゆる大陸法を基調とする国でも、法典化が十分ではない法領域(例えばフランスにおける国際私法など)では判例が重要な位置付けを占めているのみならず、判例に反する判断は上級審で破棄されることをも併せ考えると、その差は大きいものではない。

条理

物事の筋道のことであり、刑事の場合は、罪刑法定主義の建前があるため適用すべき法がない場合は無罪にすればよいだけであるのに対し、民事の場合は、適用すべき法がない場合に条理を法源として扱うことが可能かという問題が生じる。この点、裁判事務心得(明治8年太政官布告第103号)3条は、「民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ」として、適用すべき法がない場合は条理によるべきことを規定している。この太政官布告が現在でも有効な法令であるか否かにつき見解が分かれているが(平成20年現在廃止されていない)、条理に従うとしても条理自体は法源としての一般的な規準にはならず、法の穴を埋めるための解釈の問題に解消されるとも言い得る。

学説

現在の欧米や日本においては、法の解釈について学説を参考することはあっても、法学者の学説自体に法源性があるとは認められていない。しかし、ローマ帝国においては皇帝の権威に基づき法学者に法の解答権が認められ、法源としての効力があったとされる。また、イスラーム法においては、法学者の合意(イジュマーウ)が法源の一種として認められている。なお、学説が法源であることが認められないといっても、一部の非常に権威のある学者の見解が強い影響力を有し、その見解が公権解釈や学説において当然の前提とされるといったことはしばしば見られることであり、その意味ではそのような学説には法源との類似性が認められる。

(引用:Wikipedia)